ふつうの日  1

 

秋のさわやかなある日の午後、通りがかった庭先に洗濯物がはためいていた。
開け放たれたキッチンの出窓からは鼻腔をくすぐる甘い香りが漂ってくる。
リビングの大窓からすごい美人が軽く会釈をしたので、シドはちょっとだけ嬉しかった。ちょっとだけ、なのはその後たいてい「けっ!」になるのからだ。
思った通り、こざっぱりした青年が足取り軽く庭に出てきた。
大きな洗濯籠を抱えたその青年は、シドに目だけで挨拶をして大量の洗濯物を手際よく取り込みだした。

シドはため息をついた。
あまりに普通っぽい様子なので、かつての仲間は気がつかないだろう。

青年の名前はヴィンセント。

 

すごい美人の笑顔にやっかみ半分、シドはつい声をかけてしまう。
「けどよう、おめぇもよくやるなぁ。弾丸オヤジならわからないこともねぇんだが…」
嬉しそうなのは伝わってくるのだが、表情を変えないのはいつもどおりだ。
薄暗い屋根裏部屋から庭付きの明るいコテージに引っ越して、ヴィンセントは散髪をした。
お世辞にも清潔とはいえなかったマントや衣装も、これを機にお払い箱にして人間っぽい身なりにしてしまった。
ぼうぼうに伸びた黒髪をさくさく切りつめて、シドは奴に耳があることに初めて気がついたと、大笑いした。シエラがたしなめるのも聞かず、涙が出るまで笑ったものだから、ルクレッツィアも一緒になって笑った。

 

 

「この野郎、むかつくほどべっびんじゃねぇか。ぞくぞくしたぜ…」

普通にしていると近寄れないほどの美人なのが、笑うともっとすごい美人なのを知って、ヴィンセントと2人だけの時はほぼ忘れず、言うまいとしても口にしてしまう。言ってから後悔するのも毎度のことだ。
なぜならそれを聞いた奴の顔がまた憎らしいから、だ。といって、目じりが下がるわけではない、念のため。
それにこの女のことは、星を救う旅をした仲間たちにはおおっぴらに話せないから、シドは必然としてシエラか、こいつにしか言えない。村人も心得ていて見てみぬ振りをしている、どこからティファの耳に入らないとも、クラウドが聞きつけないとも限らないから。

ヴィンセントが主夫をしているのは、理由があった。
ルクレッツィアが子育てで忙しいから、だ。
去年のクリスマスに乳児と女性をロケット村に連れて戻ってきてから、ヴィンセントは半日を診療所で過ごし、あとの半日を主夫としていきいきと暮らし始めた。


「この村には有能で且つ美しい女性が何人もいるではないか、お前のすぐ隣にも」
ヴィンセントも応戦するが、いまいち説得力がない。
シドは知っていた、この野郎がオンナに興味を示さなかった理由が「これ」だったということを。

それにしてもルクレッツィアの笑顔は見ていて心が洗われるというものだ。哀しい20数年を差し引いても目の保養になる。なにより、細い腕に抱かれた幼子への慈愛に満ちたまなざしには、不覚にも涙が出そうになる。

 

 

 

ふつうの日 2

 


北コレルの復興は順調で、バレットの生活も潤いのあるものになってきた。双子の育児も軽くこなす、頼もしいご亭主と評判だ。昼なお暗いミッドガルの、スラム下で暗躍した頃の面影は今はない。色艶のよい、張りのある健康的な肌が生活の充実を物語っていた。

石炭運搬の打ち合わせ等でちょこちょこロケット村まで出向いてくるバレットが、カウンターで夢見ごこちでマスターに話していた。
「それがすっげぇ美人だったんだ。マスター、あんな人、この辺にいたかぁ?」
ここに来るといつもポークビーンズの注文で、変わらない味がバレットを安心させるのか、饒舌になる。
それに、どんなに可愛らしい女房がいても、オトコという生き物はしょうがないものらしい。
「珍しいですね、バレットさんが女の人のことを、」
思わず手にしたフォークを取り落としそうになった。
自分でも意外といえば意外だったからだ。
「おうおう、人聞きの悪いことをいうんじゃねえぜ。」
言いながらにやりと笑ってしまった。
「あれだけの美人を無視するほうがシツレイってもんだ。」
言い方もあるものだ、マスターも妙に納得してしまったからつい口を滑らせた。
「ルクレッツィアさん、のことですね。」
ポットのお湯が沸いてきた。マスターは食後の紅茶を用意した。
バレットは美人の名前を口に含んで、豆と一緒におなかの中に収めた。
いい名前だ、今日一日トクをした気分だ、ん、どっかで聞いた気がするんだが、わからねぇな。
バレットはオンナの名前を覚えられないタイプだった。

アール・グレイの香りが店じゅうに満ちてきた。

タイミングよくティーカップをすすめられてますます気分のよいバレットだ。
「そうか、るく、ルクレッツィアさんか、赤ん坊を連れていたが、ダンナは?」
ほんとうに、バレットにしては珍しい。
ミルクピッチャーがさらに小さく見える、大きな手だ。
マスターは手元に落としていた視線をちょっとだけうつろに泳がせた。カウンターのバレットは見ずに声を潜めて、
「ご主人は…、」
それだけを聞いてバレットは正気に(?)戻った。
がしゃがしゃとせわしなくカップをかき回したかと思いきや、まだ熱い紅茶をぐいぐい飲み干した。
バレット一流の愛情表現、だ。
マスターは見かねてお冷を差し出した。
「ありがとうよ、るく、ルクレッツィアさんによろしく言っといてくれ。ごっそうさん!」
何をよろしくか、よくわからないが、早いとこ、この場を離れたかった。

 

 

ふつうの日 3

 

そうかぁ、
あんな小さい子を抱えて…、一人じゃ、
「大変だよな」
道のど真ん中でつい、いつものような音量で口から言葉が飛び出した。
すれ違った青年が、思わず振りかえったほどだ。
「ふっ!」
青年は、バレットの独り言に答えるかのように笑いをこぼした。
恥ずかしさと不快感でバレットの足が止まった。
眉間にしわを1本増やして怖い顔を作ると、
「何が可笑しいんだぁ?」
いきなりケンカモードで振りかえったバレットの視線の先には、買い物かごいっぱいの野菜を抱えた、すらりとした男がいた。ふわりと風が男の前髪を持ち上げた。整った顔立ちと涼やかな瞳が印象的だった。
男はむっとした顔のバレットに反応するでもなく、逃げるでもなく、ただそこに立っていた。
怖い顔はしたものの、相手が全くの無反応だと次が出せない。
別に何の理不尽があったわけではないし、バレットは白けたふりをしてぷいと明後日の方向を見てその場を立ち去った。

買い物かごを抱えた青年はバレットの背中をただ見送り、おもむろにまた歩き始めた。
気恥ずかしさとかっこ悪さでバレットは、怖い顔を元に戻せないまま、次の用事を済ますために格納庫に急いだ。

 

 

 

 

「んだと〜〜〜〜、あれがーーー?」
騒々しい機械の音よりも大きな声が格納庫じゅうに響いた。
メカニックが驚いてこちらを見たほどだ。
「うっせぇなー」
一番近くで吠えられたシドは、右の耳穴に小指をつっこんで声の主を見た。
腕組みをして首をひねる声の主、バレットが続ける。
「けどよう、あれじゃあどう見たって、普通のオトコだぜい。ヴィンの野郎だなんて誰が想像できるってんだぁ?」
あまりにおもしろい発言だったので、シドは作業の手を止めて笑ってしまった。
「笑い事なのかぁ!?あの野郎が村に舞い戻ってきたかと思ったら、ニンゲンの真似してるじゃねえか。何かあったかって思うぞ普通。」
今日は笑われる日のようだ、バレットはなおも笑うシドに口をとんがらせた。
「ニンゲンの真似ぇ!そのネタぁ、いただきだ。」
涙が出るほど笑ったシドが、胸ポケットからタバコを取り出した。
何か違うと思ったら、今日はゴーグルをしていない。

別に空へのこだわりを捨てたわけでも、パイロットを引退したわけでもない。
今は地上にいるから。
あの頃、頑ななまでに空にこだわっていたのは、飛んでもとんでも、空を感じられなかったからだと、シドは自分の中でひとつの結論を感じていた。
「どこからが空なんだろう」
見上げると今にも手が届きそうな、なのに行けども行けども、捕まえることができない空。
神羅26号の窓から宇宙を見ても、「空」がわからなかった。
もしかしたら自分は、本当はないものを求めて、こだわっているのでは?
自分の思いの中にだけあって、本当はないのかもしれない。

けれどシドは、初めての子の生まれたてを抱いたとき、確かに体がふわりと浮いたのを感じた。空を飛んだ、のだ。
3kgあまりの肉体が発するエネルギーがなせる技だったのかもしれない。
そのとき確信した。
空は、ある。
オレ様はすでに空、そらの一部なんだな。

それからシドは、いつもいつもゴーグルをしなくなった。フライトのときだけ着用すればそれでよし。だから今、タバコは胸ポケットに入れてある。

10ギルライターでちゃちゃっと火をつけ、ひゅ〜と煙を吐いたシドにバレットが畳み掛けた。
「ヴィンの野郎、なんかあったんだろ。…お、オンナだ。違いねぇ、だろう!」
ワイドショーっぽい展開だなと、シドはタバコの灰をつんつん落として思った。
「おいオヤジ、何か知ってるんじゃねえか?野郎、いつ戻ってきたんだよ」
オヤジにオヤジ呼ばわりされちゃあたまらねぇ、シドは口を開いた。
「てめぇこそ、なんでぇべらべらと。ティファとケンカでもしたかよ」
冷やかしてやるのがいちばんだ。
このオヤジときたら、15も若い娘っこをヨメにしやがってうらやましい、じゃねぇ、もう何年になる?いまだに女房の名前が出たら赤面するんだぜぃ。気色悪いが黙らせるのにゃ手っ取り早いんだ。
愛妻の名が出た途端、馬鹿正直に頬を赤らめてバレットは黙った。そして2秒の沈黙の後、やや口ごもりながら言った。
「な、なんだ、その、あの旅の仲間だぜ。あんなに変わっちまったら何かあったって思わねぇか、だろ?」
ごまかし半分、正直はんぶん、額の汗をぬぐうバレットだった。
ふと真顔になったシドは、火をつけたばかりのタバコを灰皿に押し付けた。
手を上げて若いメカニックを呼ぶと、二言三言、作業の引継ぎをした。
「ちょっと、顔貸せ」

 

 

 

ふつうの日 4

 


日が傾き、風がやんだ。
バスルームから笑い声がこぼれてくる。
キッチンでは野菜中心の料理が3皿仕上がった。
ふっくら炊き上がった煮豆、色よく仕上がった青菜のおひたし、根菜の煮物には魚のすり身が入る。ヴィンセントはこれらの中から煮豆を3粒、青菜の葉先少々、大根一かけにすり身団子を半分、1枚のプレートに取り分けた。

湯気がまっすぐに上がるので、今は夕凪だ。
建付けが悪いわけではない。風の通り道があるのが健康にはよい、そんな理由でこの家を選んだ、ヴィンセントのこだわり。

小さなすり鉢でおかずを丁寧にすりつぶす。
手つきもすっかりよくて、ともすれば「練り餌になってしまうのよ」と、シエラやクシャナが激白したのとはかなり違う立派な離乳食が出来上がった。
クシャナの夫が感心して言ったものだ、「これはお金がとれますよ!」と。
だからルクレッツィアの子は食も太く、肌の色艶もよい、機嫌のよい子だと評判なのだ。

薔薇色の頬をした母と子がふんわりとした石けんの香りに乗って、ダイニングに戻ってきた。

食事の準備が整うと、ヴィンセントは静かに椅子に腰掛ける。
母と子は感謝のまなざしをヴィンセントに捧げる。

あーん、母が口を開くと子が真似る。
見つめあう2人の間にある、何人たりとも割り込めない、理屈ではない絶対の絆を、ヴィンセントはただ眺めていた。

この世で最も美しいもの、それを間近で見ることのできる、これが幸せなのだ。

 

 

 


小さな泣き声がする、気配を察して目を開く。
12時、今夜は少し早いかもしれない。
足音を感じる、ルクレッツィアもすぐに起きだしたようだ。
微かに話しかける声も、ヴィンセントの耳には近く聞こえる。

便利なものだ

いつもながらそう思う。人ならぬ身にされて得た能力だが、こんな風に役立つとは思わなかった。
ヴィンセントは毛布に包まって隣の部屋の雰囲気に笑みを浮かべる。
程なく気配は静まり、また夜の静けさが家中に満ちてくる。
ヴィンセントも目を閉じた。

 

 

 


目を閉じても眠れないバレットは、がばっと身を起こした。頭髪をわしゃわしゃ、かき混ぜてみるが何の解決にもならない。
薄暗がりの中、浮かび上がる時計の針は12時。ああ、電話を忘れた。けど、もうこんな時間じゃ、いかん。

ぞくっと寒いので、仕方なく枕に顔を埋めた。

しかしまぁ、世の中には知らない方がいいってことがあるもんだ。

あれが、セフィロス…

ティファにゃ、……言えねぇ。
ついでに、クラウドにも、だ。

何でまた、ヴィンの野郎め。今更…。

 

シドもシドだ。
「オレたちの古い友人だ」
あっさりと紹介してしまいやがった。
束ねた銀の髪が「あの旅」を思い起こさせた。
ルクレッツイア…さん。
あの人は何も知らないから、こっちがこだわりを持たずに接すれば
何一つ問題はない…、シドの野郎は言ったが。
一組の母と、子。それだけなんだと。

 

 

 

 

ふつうの日 5

 


遅くまで考え事をしていたから、寝坊をした。バレットが腕の具合を見てもらいに診療所にやって来たのは半年ぶり、ぐらいのことだ。

執刀したのは、ヴィンセント。
彼は星を救う戦いのあと、どこをどうさすらっていたのか不明な時期がある。
数日で戻って来たり、季節が変わるまで姿を見せなかったり。
それでも結局は戻ってきて診療所には彼の席があった。
命を救われた者や、失った機能を回復したり補助してもらったり、ヴィンセントに感謝の気持ちを寄せる人たちの輪が静かに広がっていった。

けれどまたヴィンセントは村を後にした。
いつもはふといなくなるのにこのときは、思い残したひとのために、とは言わなかったが「なすべきことを見つけた」とシドとシエラに言い残して行った。

そしていくつもの季節を重ねて、クリスマスの夜。
聖母子を伴った赤いひとみのヨセフは帰ってきた。


こざっぱりした姿のヴィンセントは、やはり馴染みがないからシゲシゲ眺めてしまう。外見が変わっても性格は至って変わらない、静かな空気を漂わせるヴィンセントだ。
ぎこちない2人の雰囲気に、ナースのクシャナは苦笑した。
「ヴィンセントさん、患者さんがお困りですわよ。」


ちらりと目配せだけをして、やはり無愛想なままのヴィンセント。
右腕の義手を丁寧に外して、診察を始めた。
「痛むところは?」
なさそうだ、しかし以前よりさらに厚みを増した腕に義手が合わなくなるのは時間の問題のようだと、カルテに視線を落とした。
「(幸せ太り、のようだ。)年齢を考えて食事に注意をするのがよかろう」

かすかに口元が曲線を描いたのを、バレットはとても冷静に見た。
事実を淡々と話す中に、温かみを見た思いがしたのだ。

カルテに何やら書きこんでいたヴィンセントの手がぴたりと止まった。

「ルクレッツィア、に。」
ほう、自分から口にした。バレットはちょっと気が楽になった。
「会ったとか」

へん、お前にも出会ったんだよ、とは言わずバレットはちょっとだけくちびるをとんがらせた。
その次の言葉にはさすがのバレットも予想しなかった。
「やがて、ティファにも会うことだろう」
この野郎、すっかりニンニク、じゃねえ、ニンゲン臭くなりやがった。
溜息混じりに、こんどはバレットが自分でも感心するほどすらりと名前が出た。
「そうだなぁ、クラウド、にもな」

だからお互い思わず顔を見合わせてしまった。

おれやこの村の連中なら、神羅に恨みはあってもソルジャーとは関係ぇねえ。
けどよう。故郷を焼かれて、親を殺されて、切りつけられて、悪夢を植えつけられた、あの2人なら。

事実を知ってしまった。真実を突きとめて、叶うなら愛する人を悲しみの中から助け出したい。「生きたい」と腕の中で訴えた小さな命を守りたい。ただそれだけのつもりであったのに、自分のした行動は、ただの独り善がりだったのだろうか。ヴィンセントはとつとつと話した。
「子を育てるということが、これほど人とかかわることだとは、思わなかった」
小さな溜息混じりで、告白をした。

バレットは思い出した、懐かしいコレル村を。うちもよそもなく、村中が一つの家族で、子供たちは分け隔てなく誉められ、叱られ育てられたことを。今はもう、自分の瞼の裏にしかないけれど、懐かしい故郷を。

「いいんだぜぃ、それで。」
急にヴィンセントを近しく感じた。

けれどヴィンセントは視線を上げることなく、あかい瞳は沈み込んでいた。
さては、こいつ。
「かわいい盛りだろう、つれて歩くにもいい季節だしよう」
「こどもには、ふれていない」
思ったとおりの答えで、それがヴィンセントのわだかまりだと、バレットにはわかった。
だから胸が熱くなった。
「可愛いぜ、」
ミーナ、ごめん。
「だいすきなおんなの子供ってぇのはよう」
ティファ、カンベンだ。


静かな空気が空間を支配した。ナースのクシャナが入ってくるまで、2人は互いの波長が共鳴し合うのを実感していた。

美人のクシャナがバレットに笑顔をくれた。

嬉しいもんだ、2児の母ってぇのがまたなんとも…

悦に入った顔をしたバレットは冷ややかな視線を感じた。
「常々気になっていたのだが」言葉尻に怒気が帯びている。
笑顔、いやむしろにやけていた、隙だらけのバレットの顔にヴィンセントは畳み掛けた。
「どうしてお前ばかりが、そのように次々女性に受けるのか??」
知るか!バレットは声を出さずに笑ってみせた。
「わはは!お前さんでももてたいんだ!!」
バレットは、とても嬉しかった。