距離

Distance

 

  


ドアを開けると、ダイニングには誰もいなかった。
寒寒とした風景、冷蔵庫が遠慮がちにハミングしてる。気休めにのぞいてみると、昨日自分で入れたビールがそのままひんやりとたたずんでいた。

わかってはいたが

実際にそうなると虚しいものだ。あいつがちょっと留守している、ただそれだけで何をしんみりしてるのか。
自分が許したのに。
まだ三日目だというのに、もう心がささくれ立ってきた。
灯りのついていない部屋にもどるなんて

初日はちょっと嬉しかった。
羽根が伸ばせる
正直そう思ったし
そうだった。
ナノニモウキョウハ・・・

ベッドルームには今日も着替えや何かも用意されているじゃないか。
シーツだって取り替えてある。掃除だってしている。

いつの間に?

オレ様は仕事しかできないのに、どうしてアイツはここまでできるのだ?
アイツの仕事ぶりはこのオレが一番よく知ってる。あれだけの仕事をしてその上なんでこんなことまでできるのか?
ろくに寝ていないんじゃないだろうか。体を壊しても知らないぞ。
あんなタイトな仕事、今回限りだ。もう一度やりたいなんて言っても、次は許さない。オレのことを放り出して何日も家を空けるなんて・・・

・・・やめだ。
オレは
アイツを心配する振りをして

嫉妬している。

アイツの実力に
嫉妬してる。

クラウドにバレットに
「自分に正直になれ!」なんてわかったこと言ってるくせに。
一番正直じゃないのはオレじゃないか。

待てよ、
アイツはこのオレをどう思っているのだろう?

そう言えば聞いたことはなかった。

好き勝手に飛び回っているばかりのわがままヤロウだと、呆れているのに違いない。

・・・まだつっぱってる。
聞くのが怖い。

アイツはきっと
「だいすきよ」なんて言うだろうが、
違うんだ。
そうじゃなくて・・・

このうえ、
ちょっと独りにされただけで泣きが入る奴だなんて思われたら・・・

くそ、シエラの馬鹿野朗・・・

 

 

 

シエラはタイニー・ブロンコのモデルチェンジ開発チームに参加していた。打ち合わせの段階を過ぎていよいよ製図を引き出した。すると彼女は自分の工房にこもりきりで夜遅くまで灯りが消えなくなっていた。

タイニー・ブロンコはシエラにとって特別の翼だった。

自分の引いた製図が空を飛んだ日の感激は今も忘れない。テストも自分でしたし、シドに勝負を挑んだのも、この翼を信じていたからだ。
結果は、ちょっとしたアクシデントで負けたけれどおかげで今こうしてシドの近くにいる。

「もう一人ぐらい乗れると便利なんやけどなぁ」
リーブのこんな冗談から話しがどんどん膨らんで、タイニー・ブロンコはモデルチェンジして量産されることになった。
燃料も魔晄エネルギーから、ガソリンを使うようにしたのでエンジンから設計しなおすことになった。


さまざまなシーンが頭を過った。
少女のころ見上げた空の青。
パイロット試験を受けるために家を出た日のこと。
ハイウィンド制作チームに入れたこと。
テスト飛行の前の日、初めて眠れなかったこと。
そして、シドと出会った日のこと。

縁あってこうしてまた、この翼に係われた。
仕事を請け負うに当たって、応援してくれたシドのこと。
「思いきりやってこい!」
いわゆる「仕事」はもう久しぶりだ。
あの戦いの後、ハイウィンドの専属でメンテナンスは担当していたが、シドから離れての仕事というのは、初めてだ。
不安がないといえば嘘になるが、思い入れの方が勝って、文字通り寝食を忘れて図面にむかう日が続いた。

 

 

いつもより早く目が覚めたシドは、今朝もベッドが広いので虚しく天井を見上げた。今日もフライトがある、身支度を整えると上海亭で朝食を取った。

 

不機嫌だな、上海亭のオヤジ、メカニックの元チーフジョディは見ぬいた。
当然だが同じ男として少し同情した。男なんてそんなものさ、女房の前でどんなに威張ったって、所詮は。ま、あと何日かの辛抱だ。ジョディは黙ってシドを見送った。

 

 

シエラは製図を引いていた。

 

「あ、おはよう。どうしたの、早いじゃない?」
ふわぁぁぁ〜と伸びをして、振りかえると出会ったあの日のシエラがいた。
二、三日、顔を合わせなかっただけで何を話せばいいのか、黙ってしまう自分が嫌になった。

「これからフライトでしょ、ごめんなさい、見送れなくて。」
見て、すごいでしょ、
シエラは描きかけの製図を、頬を上気させてシドに紹介した。何か話しかけられたが耳に入らなかった。

それでね、ここのところはね、

いつの間にかシエラはまた図面に向かってペンを走らせた。
自分に話しかけていたのではない、図面に、仕事に、話していたんだ。

こんなはずではなかった。シエラの久しぶりの仕事を応援して、支えてやるつもりだった。

お前、昨日ちゃんと寝たのか?
飯食ったのか?
おい、

シエラの背中は何も応えなかった。

 

 


オレは思いあがっていたのか?
オレがいないとべそをかいて肩を震わしてる、
だから
アイツの待つところに戻ってきた、
そう思っていた。
アイツはオレ様なんかが居なくても
あんなに生き生きと嬉しそうに仕事に励んで、輝いているじゃないか。

シエラがオレから離れていく。

そんな・・・

 

 


上海亭で4日目の夕食。

大人しく普通に食べてくれたらいいのに、何もわざわざそんなに騒がなくても。ジョディは若いクルーどもとワーワー盛り上がっているシドを眺めながら、カウンターの下で小さなサンドイッチやボイルした野菜など、見た目にかわいらしく盛り付けたお皿を用意していた。
「シド、ちょっと・・・」
結構呑んでいるが、全然酔っていないシドの目を見て
「これを、」
持っていってくれないか、と、差し出した。
「誰にだ?」
「夕方には終われそうなこと、言ってたが」
まだ現れないから、頼むよ。
「私はここを離れられないから」

嫌だ、と、言ったつもりなのに結局は工房のドアをノックしていた。

 


急にアイデアが浮かんで、手直ししてるの、夕方には終わるはずだったのに。助かったわ、もうおなかぺこぺこよ!

心尽くしの夕食に、シエラは子供のように喜んだ。

お前のそんな笑顔、初めて見る気がした。
そんなに美味いか?

…オレは何がそんなに不満なんだ?

程よく冷まされたスープも、仕事の邪魔にはならない。ジョディの気遣いにはっとした。なんでオレ様はそういうところに気が廻らないのか?フォローどころか、仕事を抱えているシエラの手を煩わせて世話まで焼かせているなんて。

…オレはほんとうにシエラを愛しているのだろうか?

アイツが・・・
アイツがすきでオレ様のそばにくっついてくるんだ。
すきにさせてやっているのがオレの誠意の表れだと思っていた。

そういえばオレたちはまだ結婚していなかった。

そんな形式ばったものが必要だとは、今まで感じたことがなかった。周囲の誰もがわかってくれているし。シエラだって不満を口にしなかったから、別に構わないと、そう思っていた。
それに、オレは必ずアイツのところに戻るし、
食事して、
話をして、
一緒に眠る。
それで十分わかりあえていると思っていた。
この不安な気持ちは一体何なんだ?
結婚というものをすれば、こんな思いを味あわずに済むのだろうか?


5分もたたないうちに料理を平らげて、シエラは「ごちそうさま」と両手を合わせた。
あと少しなの、がんばるわね。

キラリと光る瞳に、シドはもう何も言えなかった。

 

 

 

その夜、僅かな物音がして目が覚めた。
シドは起き上がろうとして止めた。
音のするほうを見ようとしてやっぱり止めた。

窓からさしこむ月明かりが侵入者を淡く照らす。
夕暮れの海のような豊かな髪が揺れるのを感じた。

『長いことすいませんでした、シド、ありがとう。』


あったかい、
シドの匂いがする
もうだめ・・・
くたびれた・・・

 

つま先が触れた。
冷てぇ!
そうだ、
工房は暖房が入っていなかった。
それほど夢中になっていたんだ。
馬鹿だな、おまえ。
そんなに詰めてちゃ、いい仕事できねぇぞ。
やっぱりオレは気がついてやれなかった。

「シエラ・・・オレ様こそ、すまなかったな」
「・・・・・・・・・・」
「いい加減、お前に心配かけないようにしねぇとな」
「・・・・・・・・・・」
「これでも、お、おまえを、」
「・・・・・・・・・・」
「あ、い・・・し・・・」
「・・・ZZ・・」
なんだぁ?
こいつめ、歩いてる途中から寝てたな!
せっかく思いきって話そうとしたのに!!
でも、
うつぶせて眠りこけている顔は、力を出しきって満足そうだったから、へそを曲げるのはやめにした。

髪を梳くように撫ぜると胸の奥がシクシクした。
シエラがオレのことをどう思っていようとオレ様の気持ちは一つだ、胸を切り開いて見せてやる!
くそっ、
コイツは昼型人間だ、暗くなるとジキに眠くなるんだ。おかげでオレ様は何度お前の寝顔を恨めしく眺めたことか、おまえ、知らないだろう。
それに、今はいまで、オレ様一世一代の名台詞を聞きそびれやがった。
ざまぁみろ・・・
しょうがない、白昼堂々とオレ様らしく話すとしよう。

ごくろうだったな。
仕事に打ち込むお前の顔、よかったぞ。
惚れなおした・・・。
けれど、
また許すことが、できるだろうか?
今は、わからない。