真田山陸軍墓地

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きのうは心斎橋NEKO Republic偵察~カトリック玉造教会~真田丸(三光神社・心眼寺)とまわって、三光神社のうえ?にある陸軍墓地に伺ってきました。

真田山陸軍墓地

写真

上町台地の高低差を歩く・三光神社・旧真田山陸軍墓地
新之介( jusojin )さんのブログ

NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会より引用
(引用ここから)
1871(明治4)年に大阪真田山が陸軍御用地となり埋葬地となる。あわせて祭魂社を設けることが許可される(招魂社として実現)。
(ここまで)
全国にははじめ東京、大阪、鎮西、東北の4か所に「鎮台」が設置され、徴兵制が敷かれ「師団」への改組で廃止されました。

西南戦争、日清日露、第1次、第2次大戦で戦死、病死した兵隊、そして俘虜のお墓が並びます。
第2次大戦の敗戦で、国は大阪市に無償貸与という名の「まるなげ」。これが戦争に負けるということなのかと哀しくなりました。
そこは大阪のひとたち、荒れるに任せる墓地を放っておけるわけがなく、四天王寺管長田村徳海など有志がが中心となり行政の後援をうけ、お墓をお護りするようになったとのことです。

戦前の遺物だとか、軍国主義への回帰とか、意見は様々ですが、1945年からの70年、墓碑は増えていません。

アジア諸国が黙っていないかもしれませんが、ここに眠る人たちは国の方針で命を落としたのですから敬意を以て接するのが正当だと考えます。
なにより、いまだシベリアに、海の底に、密林の奥に、誰も迎えに来てくれない、おうちに帰れない兵隊がいったい何人いるのかすらわからない。入植したさきから撤退する道すがら、守る軍もなく命を落とした民間人もいったいどれだけいたのか、わからないという凄惨さを忘れてはいけないのです。
弔いも祈りもなく、打ち捨てられた夥しいいのち。

なにより、いまだに世界のあちこちでは、理不尽な死が横行している。

真田山に眠る兵隊さんたちは、どんな思いで今の世を見ておられるだろう?軍の墓地はここが最後になるように、いまを生かされている私たちは行動を以て示すだけ。


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このページは、mazbaが2016年5月13日 17:01に書いたブログ記事です。

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