そしてもう1本は、ちょっと買い物しながら「たまたま通りがかったのよ」的な西宮です。

私は賢いので、本えびすの西宮神社みたいな雑踏には近寄らない主義の人です。

それは今までの仕事がしんどくて、体力がなかったからなだけでした。

今年は力が余っているので、これほどよいお天気に外出しないのは「どうかしちゃってる」とまで思うようになりました。

甲子園のららぽーとにもちょっとだけ用事もあったので、お昼から出かけていきました。

やっぱり、現場の、実際の空気というのは特別です。

休日で可能な場合はお昼を休む方針な空腹に効いたわぁ、本えびすの、これでもかっ!と出店でみせのいい匂い充満のホコ天になった「えべっさん筋」。

毎日が祭りのような現代にあって、この、ソースの焦げる、カステラの焼ける、堪らん、アナログな空間が「非日常」の極みだわと、つい深呼吸してしまいました。


週4日しか仕事に行っていないので、隙あらば自転車に乗ってどこかに行ってしまうようになりました。

平年に比べてかなり暖かいので、のんびりダラダラ走ってばかりです。

ことに、暦が良い今年は出勤したと思ったらすぐ連休で、年末年始も遊び呆けて体力も十分なのでまた出かけました。

3日に駿馬神社前でお恵みを頂いたので、そろそろ神様もお手すきになっただろうと近所の神社を3つ回ってきました。

アニメ「忍たま乱太郎」好きの聖地を巡礼する形になった、三社参りでした。

「七松八幡神社」「生島神社」「富松神社」

あらなんてお手軽な・・自転車でちょろっと小一時間、ちゃんとお礼を申し上げてもあっという間に済んでしまいました。

これはどうよ、と、気を取り直し西へ西へ。

いざ!廣田神社!を目指したところが、国道171で阪急宝塚線を跨いだらそこは門戸厄神。。。

まだ行ったことのない、厄神さん、良い機会なのでお参りしました。

どうも六甲山系のこの辺からは、弘法大師ゆかりの地のようです。

神呪寺さん、トラピストー修道院の上の鷲林寺、宝塚の中山さんも清荒神清澄寺も、バッチリお大師さんがいらっしゃいます。

密教の影響が色濃い、京阪神の山側、ということです。

古代中世のこのあたりのことは、寺社仏閣やらからも、いろいろ、匂ってきて、非常に面白いのです。

ともあれ、初めて伺った厄神さん、7日までは新年祈祷会ということで、まだまだ多くの参拝者が続いていました。

参道の途中には「ご休憩所」が設えてあり、「御祈祷済のおしるこ」を頂いてきました。400円也、ちょうど午後3時、ぴったりおやつ時でした。


2号線業平橋の交差点からいつも見える、美しい尖塔。
聖家族のお祝いやら何やらで御御堂には質素な飼い葉おけに寝かされている小さいイエス様、見守るヨセフとマリア、お祝いに駆け付けた3人の博士たちが見られます。

道順は前後しますが、絶賛修理中の御影の公会堂
3月には出来上がり予定だそうです。

尼宝線の西大島バス停は、なんというか、駅みたいに見えますよね。

それもそのはず、大正時代に阪神電車の子会社「宝塚尼崎電気鉄道」が出屋敷から宝塚までを結ぶ計画をした名残。路盤まではできたけれど結果として電車は通らずバスが通った、のですってさ。

参考 もしあの鉄道路線が開業していたら/近畿

早々に引き上げてきたポーアイですが、西宮えびす神社も全部通過でした。正月の忙しい時に、信仰心もないミーハーは行ってはいけないと思って遠慮した次第。
また閑になったら寄せてもらえば、それでいいと。
2号線を西に走ると、HAT神戸の産土神の駿馬神社(みぬめじんじゃ)があって、「お忙しいでしょうからまた今度参ります」と目礼だけさせてもらって、ちゃ~っと走り去った私。
程なく行くと前かごに投げ込んであった手袋、片一方落としちゃったようなのね号泣。購入1年そこそこ、でしたのでさすがに涙が出ました。

対して迷うことなくポーアイ上陸、ファストフード店でもあれば座っていくべしと調べて、それらしいところもカフェも、ない、ない。
あれぇこんな感じだったかな、やっぱり自転車なんかで来るところではなかったのだと、ファミマの前にベンチを見かけてカロリー補給。

出来上がってから36年目の港島、お正月はシーンとしたものでした。

そして再び駿馬神社前を通り、「また今度きます、手袋おとしちゃって泣」としょんぼり通過したところ、道端に赤い!!!落とした手袋、そのまま誰に踏まれるでもなく、ありました!

思わず、神様ありがとう、忙しいのにゴメンナサイ!

FBに写真だけあげてお茶を濁していた「近くに行きたい」でしたが、少々反省も込めて、文章をつけるようにしました。

箱根駅伝の復路を聞きながら、おもむろに西へ。

風がなく、気温高めの良いお正月ですが歩いたり走ったりには、よし悪しでした。

武庫川大橋わたりはじめですでに暑いがな、たぶん寒ければ寒いというのでしょうが、駅伝ランナーたちも季節違いの気温に苦労しているのが分かりました。

三宮までは時々走ってきていて、磯上公園のところからさらに西に進んでメリケンパークまでは行ったことはありました。
いっこ手前の六甲アイランドに自転車で渡る方法も、検索したら出てくるんですわ、ポーアイのほうがもっと簡単でしたけど。

残念だったのは、当たり前ですが人工島でニュータウンなので、けっこう老化は進んでいる印象だったことです。「遊びに来る場所」ではなく、生活の場所ですね。
国際スポーツ大会とか、大病院、学校、なども誘致していますがイベントがなければ静かなものでした。
ということで、ゆるりと座る気軽なお店、なかったですわ涙。

幸か不幸か、季節外れの穏やかな気候でしたので、ファミマの前にあったベンチで一休み、早々に引き上げてしまいました。

2017年が始まりました。

転職して最初の年末年始、世間と同じスケジュールで迎えてすっかり堕落してしまいました。

春先に娘が独立して、私の身の回りは著しくQOL低下をみています。

強い反省を込めて、きょうから立て直すことにしました。

まずはFB頼りでなく、ちゃんとブログで物事を整理することにしました。

このブログ、長らく放置していて、ログイン画面はおろかID,PWわからなくなる始末。

久々マニュアルを引き出して探す羽目に。

幸いにも探し物は程なく見つかり、娘の独立にあわせて大ナタを振るった断捨離という名の大掃除をした自分をほめた次第。

この記事をアップしたら、2017年最初の「ちかく」に行ってきます。

明日4日からはお仕事です!

尼崎市民でありながら、西宮の地域情報ポータルサイト「西宮流」さんの企画に混ぜてもらいました。

「西宮流まちあるき」

3回目となる6月4日(土)は2016年度入梅の記念の日と重なる曇天。

写真写りはイマイチですが、日照りよりはマシと、鳴尾のまちなかを探検してきました。

いろいろテーマを以て参加された方ばかりですが、私は何も考えず、いつものとおりのポタリング。

画像 いつもの通り、なので「神様の御坐」視点でパチパチ撮影してまわります。

鳴尾の「白山姫神社」です。

菊理姫尊(くくりひめのみこと)をお祀りしており、境内には「愛宕大神」と「白龍大神」のお社があります。
菊理姫尊はイザナギとイザナミが黄泉の国での別れ際、揉める2人に何事か仲裁の言葉をかけています。なんというたか、記録がないうえに「日本書紀」にちょこっと出てくるだけ。


六甲山の石宝殿とおなじで、「括り結ぶ」お方だとかです。

春からいろいろご縁を頂くことが続いており、この日のことにも良い出会いをいただいたなと、感謝のひと時でした。

白山姫神社はこちらも参照 「な~る」

画像

「立花朝カフェ」に出かけた後、商店街に買い物に行く道なりに「そろそろどうなったかな」と熊野神社に寄ってみました。

ここは西難波の街中にありながら、しっかりと神社が守られています。

「なにわのうめ」と呼ばれるたくさんの種類の梅が育てられており、2月の花見はたいそうな人出です。

午後より「梅雨入りしたらしい」と発表があり、いよいよ梅の実は熟すことでしょう。

まもなく収穫されて、加工品となり販売されます。

次は土用干しを楽しみに待ちましょう。

大阪弁護士会館にて、大きな催しがありました。
3月にキャスターを降板(させられた?)した、国谷裕子さんが登場する講演会です。
基調講演は憲法学者の木村草太さんなのですが、集まった1,100人の観客の目当ては第2部対談に決まっています。
すいません木村さん。
しかしこの度の国谷さん降板の件は、誰も言わないだけで権力側からの圧があったと思わないわけがないのです。古館氏もそうだと感じています。
だからこそ、危機感を以て、たくさんの人たちが講演に足を運んだのです。
憲法記念行事「憲法という希望」

きのうは心斎橋NEKO Republic偵察~カトリック玉造教会~真田丸(三光神社・心眼寺)とまわって、三光神社のうえ?にある陸軍墓地に伺ってきました。

真田山陸軍墓地

写真

上町台地の高低差を歩く・三光神社・旧真田山陸軍墓地
新之介( jusojin )さんのブログ

NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会より引用
(引用ここから)
1871(明治4)年に大阪真田山が陸軍御用地となり埋葬地となる。あわせて祭魂社を設けることが許可される(招魂社として実現)。
(ここまで)
全国にははじめ東京、大阪、鎮西、東北の4か所に「鎮台」が設置され、徴兵制が敷かれ「師団」への改組で廃止されました。

西南戦争、日清日露、第1次、第2次大戦で戦死、病死した兵隊、そして俘虜のお墓が並びます。
第2次大戦の敗戦で、国は大阪市に無償貸与という名の「まるなげ」。これが戦争に負けるということなのかと哀しくなりました。
そこは大阪のひとたち、荒れるに任せる墓地を放っておけるわけがなく、四天王寺管長田村徳海など有志がが中心となり行政の後援をうけ、お墓をお護りするようになったとのことです。

戦前の遺物だとか、軍国主義への回帰とか、意見は様々ですが、1945年からの70年、墓碑は増えていません。

アジア諸国が黙っていないかもしれませんが、ここに眠る人たちは国の方針で命を落としたのですから敬意を以て接するのが正当だと考えます。
なにより、いまだシベリアに、海の底に、密林の奥に、誰も迎えに来てくれない、おうちに帰れない兵隊がいったい何人いるのかすらわからない。入植したさきから撤退する道すがら、守る軍もなく命を落とした民間人もいったいどれだけいたのか、わからないという凄惨さを忘れてはいけないのです。
弔いも祈りもなく、打ち捨てられた夥しいいのち。

なにより、いまだに世界のあちこちでは、理不尽な死が横行している。

真田山に眠る兵隊さんたちは、どんな思いで今の世を見ておられるだろう?軍の墓地はここが最後になるように、いまを生かされている私たちは行動を以て示すだけ。